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  人類婚姻史 ~相対的な男女関係~ 

 現在の婚姻制度は、現代の人類が生殖や種族保存を保証する手段としてに適合しなくなってきていることに多くの人が気づき始めている。

 

 ここでは、人類の婚姻史を辿り、人類はどのように生殖や種族保存を実現してきたのか、一夫一婦制は本当に絶対的な男女関係の在り方なのか、といったことに迫っていきたい。性が絡むため、学校の歴史の授業では教わることのできない内容である。

 さっそくだが、サルが地上に降りた時代から話を始める。

 

 集団の中で、生殖に携わるオスはボスのみで、その他のオスは、集団の安全と食糧の確保のために存在する。

 集団の全てのメスは、ボスと結ばれている。

 つがいを探し求めて彷徨い歩くような、非効率で危険な事はしない。そんな余裕はないのだ。

 この集中婚システムは、オスたちの保護の中で、ボスという優秀な遺伝子保有者が、多くの子宮を使って、子供を量産する、

という効率的なシステムだ。

 死が常に隣り合わせのような強い外圧の下で種族を絶やさないためは、これが最良のシステムなのだろう。

 

 ところが、その外圧が弱まると、男女関係の様相が変わり始める。

 人類が知能を高め、安全や食糧に関する問題解決が進むにつれて、外圧が弱まると、ボスによる集中婚が崩れ始めた。

 集団の規模や生活様式に合わせて、婚姻の形式を変化させたのだ。

 

 ここから、「狩猟部族」と「採集部族」で異なる形態をとり始める。

 

 まず、狩猟部族から説明しよう。

 ボス集中婚時代からの違いは、全ての男に子孫を残す可能性が持たされており、集団の中で生殖に携わることができる男が複数人存在することが許される社会になったということだ。

 反対に、前時代から変わらないのは、生殖の可能性を保有していながら、結局生殖にありつくことができない男が相変わらずいることだ。

 

 外圧が弱まったことにより、男たちは集団を守ることだけでなく、他の男との違いを見せつけ、如何に女から評価されるか、すなわち「モテる」ということに意識を傾ける余裕が生まれたのだ。

 東洋人に比べて、欧州・中東の人たちの自我が強いのはこうしたことが影響している可能性がある。

 

 続いて、採集部族についてである。

 全ての男と女が結びついた状態である。

 狩猟部族と異なった形態をとることとなった原因は、生活様式の違いにある。

 「狩猟」は個人の身体能力の優劣で獲物の獲得量に差異が生まれ、男の優劣が意識されやすい。

 それに対して、「採集」は個人の能力よりは、多くの人手で協力し、手分けして、食糧を探すという方法である。

 よって、狩猟部族はより優秀な男の遺伝子を選別する必要性が高かったが、採集部族は集団全体の規模を維持・拡大する道を選んだ。

 

 採集部族の女が性に開放的であることは、後に欧州の列強国が採集部族系の国を侵略した際に、しばしば確認されたという。現地の女は、突然やってきた白人をいとも簡単に性的に受け入れたという。

 現代でも、「日本人の女は簡単に体を許す」という認識をもつ外国人男性が多い。異論のある女性は多くいるだろうが、「欧米との文化比較」や「採集部族的な傾向」という視点では正しいのだろう。

 

 

 話を戻すと、この後遊牧という生活様式が生まれ、彼らが世界に大きな影響を与えることになる。

 

 蓄財の概念が生まれ、それを多集団から奪おうという集団が現れた。その規模が大きくなったものが戦争である。

 5500年前、イラン高原(メソポタミアとインドの間の大高原)で、次いで中央アジア高原に連なる遊牧部族を介して、モンゴル高原(北方アジアの大草原)で、争いが起き始めた。

 遊牧部族は、優れた騎馬技術を武力として、長らくユーラシア大陸の覇権を握ることとなった。

  この後、人類に大きな影響を及ぼす宗教が生まれ、それが婚姻の概念にも影響を与えることとなる。

  西洋ではユダヤ教(後にキリスト教)が生まれる。非現実的で排他性の強い唯一絶対神に基づく世界観を構築。
 ユダヤ教では、結婚は神聖なものとされている。キリスト教の聖書においては、性が意識される結婚そのものを善しとしない記述はあるが、結婚儀式は神により男女が結びつけられたものとして行われる。これらの思想に基づき、比較的早くから一夫一婦婚が根付いた。

 東洋では儒教が生まれる。五常(仁、義、礼、智、信)にみるように、社会規範を軸とした教えであった。支配者の武力による覇道を批判し、徳によって人民を治めるべきとした。
 結婚観においては、一夫一婦多妾制とも称すべき体系をとっていた。妻群に格が与えられ、妻、妾、地位無き性愛対象の女性に分類された。

 

(参考)
http://www.ijournal.org/world/marriage.htm
http://www.geocities.jp/jukyosikai/kazoku/konin.html

 

 「徳」の宗教である儒教が、このような婚姻形態を是としていたことは重要な事実だ。

 現代の欧米やその影響を受けた地域の人々にとって、一夫一婦婚が唯一絶対的に正しい男女関係のあり方だという認識が主流である。

 「知的な生命である人類は古代から一夫一婦婚だった」と信じる人が多いようだが、婚姻に関する認識は、ここまでで見てきたように時代とともに大きく変化してきた。

 この次は、婚姻の形態の変遷を時系列でまとめてみる。特に、独特な婚姻形態をつい最近まで持っていた地域である日本を中心に示す。  

 

  原始の日本民族は長い間、採集部族として集団婚(それも、最も原始的な近親との婚姻)を続けていたとみられる。
 1700年前に大陸からやってきた侵略部族に支配され、統一国家が形成された後も、長い間集団婚の流れを汲む夜這い婚(妻問婚)を続けた。 

 大宝律令(701年)には、一夫一妻制があり重婚の罪があった。(参考

 

 しかし、貴族、将軍、天皇においても、「正室」を置くことで一夫一婦制の理想に沿いつつも、実質は一夫一婦多妾制をとっていた。


  一般のムラ社会の中では、夜這い婚が継続されていたとみられる。「夜這い婚」=「集団婚」であり、1対1の男女が独占的に婚姻関係を結ぶのではなく、特定 の共同体内の複数の男女が婚姻関係を結ぶものである。これはただの無秩序な乱婚ではなく、村落共同体を維持していくためにシステム化された婚姻制度であ り、性的規範である。そのシステムの詳細仕様は、地域によって多様である。(参考
 

 明治時代、欧州化の流れで政府から夜這い禁止令が出されたが、農村部では昭和初期まで行われていた。縄文の流れを汲む夜這いの特殊性は、外国人を驚かせたようである。
 ここまでで述べたとおり、日本において、一夫一婦制が明確に意識され始めたのは、せいぜい100~200年前なのである。日本人が採集を始めた1万年前からのスケールで見れば、日本人の一夫一婦婚の歴史は、たった1~2%なのだ。

 

 

 人類の婚姻史を改めて辿ってみると、恋愛や結婚、子作りへの認識に多少なりとも変化が生じるだろう。

 

 ■ 婚姻形態は、時代に応じて大きく変化してきた

 ■ 種族保存の戦略の下では、個々人は平等ではない

 ■ 人類は、非常に長い期間、広い地域で一夫一婦婚ではない婚姻形態で種族を守ってきた

 

 この事実は大きい。

 一夫一婦婚の思想が支配的である現代社会を過去の婚姻形態に戻すことは不可能だろう。

 ただ、現代社会の中で一夫一婦婚が、人々の性的充足という視点でも、種族保存という視点でも、ミスマッチが起きていることに多くの人が気付き始めれば、何らかの変化が起きてもおかしくないし、もうそろそろ変化させるべきだと思う。特に、日本人にとって一夫一婦婚は、借り物の概念でしかない。それは美しいものであるし、パズルのピースが上手くはまるような気持ちの良い概念でもあるが、日本人の無意識に十全に浸透しうるものなのだろうか。

 

 少子高齢化やあらゆる性的な問題について思考・議論するとき、旧来的な婚姻の概念に囚われていては根本的な問題解決策は見えてこないだろう。古来からの婚姻形態の流れを知り、種族保存の戦略は多様であることを知らなければ、狭い枠組みから脱することは出来ない。

 

 

(参考)

 :人類史全体の流れについては、こちらを参考にしました。

 

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